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no.4「学ぶ力と社会的能力」

 ここ何年かよく読むようになり、そして尊敬している人の中に内田樹さんがおられる(勝手に尊敬しているので、以下、内田先生とさせていただく)。その内田先生のHPのエッセイに「学ぶ力」というのがある。非常に感銘を受け、毎年学生にしつこいぐらいに紹介しているが、内田先生は「学ぶ力」は次の3つの条件が必要であると言われている(詳しくはhttp://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.phpをご覧ください)。

 

第一;「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。

第二;「あ、この人が私の師だ」と直感できること。

第三;その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。

 

 教育にたずさわっていて、かつ、自分自身も少し前に博士課程を修了するまで長いこと学生をやっていた身なので、学ぶ力に必要なこの3つの条件は非常に納得ができたし、学生であっても、社会人であっても、この3つの条件が備わった「学ぶ力」のある人はどんどん伸びていくように日々感じている。

 そして、最近、この学ぶ力と社会的能力(村井,2007)が実は密接に関係していると思うようになった。というのも、挨拶ができない、報告ができない、提出期限を守らない、権利は主張するが義務を果たさない、などといった問題は、学ぶ力の3条件が備わっているならば起こりえない問題のように思われるからである。

 まず、新人として、あるいはサービス業というそれが何かを明確に定義できない特徴をもつ仕事に就いている以上、新人でなくとも第一の「自分は学ばなければならない」という自覚は必要である。これは治療に限らず、治療以外の業務にも言えることであり、例えば中間管理職的な役割を果たすことになった場合、それをうまく遂行するための学びは必要になる。

 次に、学ぶためには「師」が必要である。仕事を遂行する上でもわからないことは教えてもらう必要がある。それは上司や先輩、同僚、後輩、患者さん、などの人だけでなく、研修や文献なども含まれる。つまり、学生であっても社会人であっても、何か課題や問題が発生した際に、問題解決方法の一つである「師」がパッと浮かぶことが必要である。

 そして、「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。職場でも「どうか教えてください」という態度ができる人は自然に手が差し伸べられる。その態度は一朝一夕に形成されるものではないが、第一の「自分は学ばなければならない」という痛切な自覚があればそうした態度を取れると考える。

 実際、みなさんの職場でもこのような「どうか教えてください」という「ひろびろとした開放性」を持っている人には教えたくなるであろうし、自分自身がそうした態度であれば自然と周囲の人に様々な形でサポートしてもらえたと思う。

 ところが…である。職場でうまくいかない人からは「どうか教えてください」なんていう言葉は間違っても出てこない。これはつまずいている学生も同じ。大抵の場合、「○○がわからなくて困ってるんですけど…」とか「△△ができないんですよねえ…」とか。こちらの心の中の声は「困っているから、なぁに?」とか「だから、教えろってこと?」なのである。どう考えても上記2つの言い方には内田先生の言う3つの条件を備えた「学びたいのです。先生、どうか教えてください。」というニュアンスは感じられない。仮に「教えてください」とか「教えていただけないでしょうか?」と言われても、なぜかそこに心から言っていないということを感じ取ってしまうのである。え?そう言われたら教えるのが当然?そうです、そうですよ。たしかに。教えますよ。教えますけど、1には1、3には3しか答えないですよ。だけど、3聞かれたことに10答えるってことは望まないでくださいねって言いたくなっちゃいませんか?(心が狭くてすみません)。

 少々、話が脱線してきたので、元に戻って、社会的能力は周りの人がいまどう感じているかとか、いま何をしたいと思っているかという「情報をキャッチする能力」と集めた情報をもとに社会の中で「実際に適切に振舞う能力」である。つまり、自分の置かれた状況から、学ぶ力の第一の条件である、自分は学ばなければならないという己の無知についての痛切な自覚を持つことが、情報をキャッチする能力であり、第二、第三の条件である師を直感し、「学びたいのです、どうか教えてください」という態度で師をその気にさせることができることが、実際に適切に振舞う能力と言えないだろうか。

 また、「情報をキャッチする能力」と「実際に適切に振舞う能力」は2つが揃って「社会的能力」である。ゆえに「情報をキャッチする能力」はあっても、「実際に適切に振舞う能力」として行動できるかどうかが難しい。問題解決能力が低いというのもこれに通ずるところがあって、情報はキャッチできていても、実際に適切に振舞うところでつまずく。どう行動して良いかわからない。どう行動していいかわからないからこそ、問題解決方法の一つである「師」を見つけて「学びたいのです、どうか教えてください」と言えば道が開けてくるのに…と思う。そうして仕事のスキルを身につけ、成長していくものではないだろうか。

一方で、逆に考えると、自分に聞いてみたいとか、教えてもらいたいと思ってもらえるような、誰かの「師」になりうるように自分も学ぶ力をもって成長していきたいと思う。私自身、まだまだ、たくさん尊敬する人ばかりで、学ぶ側であるけれど、学ぶ力を忘れなければ行きづまるようなことがあっても、何となく道が開けていくように思うのは、少し楽天的過ぎるだろうか。

                                 2013.10.14 Y・I