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no.84「名前」

 「名前は単なる記号でしかない」とは誰が言った言葉か、ググっても出てこないですが、どなたか偉い人が言った言葉だったか気がします。私も名前は記号でしかないと思っているので、自分の名前を間違われても訂正しません。(ハギワラとオギワラ的な感じ。萩原さんすみません)大事なのは話の中身だと思っているので。

 

 と、いうのは建前で、実際には名前を間違えられた時のことは結構覚えています。自分でもみみっちい人間だなぁと思いつつ、名前を間違えられたときは結構ショックを受けます。そして根に持ちます。なんで自分でもこんなことにこだわるのか、ずっと引っかかっていたのですが、ついこの間とある老人ホームにお邪魔した時に腑に落ちたんですね。それを今回のコラムにしようと思います。

 

 とある老人ホームでは短期間での雇用の契約で、「リハビリに関わる書類の整理をしてほしい」とオーナーに言われて働きはじめました。仕事の依頼が書類の整理だったとしても、やはり現場の方々とコミュニケーションを取る場面は多々あります。ですが、中々に人間関係が複雑な組織だったので、「どうしたもんかな…」と思案しました。

 

 手っ取り早く信用が得られて、コミュニケーションが円滑になる良い方法はないかなーと考えて、思いついたのが「スタッフ全員の名前を初日に覚える」でした。スタッフは全員で50人くらいだったのですが、とても頑張りました。効果は思いのほか高く、「あの人は全員の名前覚えてるよ」とスタッフの間で口コミで広がり、コミュニケーションがグッと図りやすくなりました。オセロで角を取って全部ひっくり返る感じ。自分としては「スタッフ全員の名前を覚えるとどんな反応が返ってくるかの実験」位の感覚でやったことなので、びっくりでした。

 

 気づいたのは、「名前を覚えられている」と認識することは「個人として尊重されている」と感じることと似ているんだな、ということです(私の中で名前を覚えられていないときに感じたのは、これとは逆の感情に近いような気がします)。実験感覚で始めたことに申し訳無さを感じつつも、コミュニケーションの前提として、相手への敬意を払うという当たり前のことの重要性を再確認しました。

 

 「すべての理性的存在者は、自分や他人を単に手段として扱ってはならず、 つねに同時に目的自体として扱わねばならない」と言ったのはイマヌエル・カントですが(これは覚えてた笑)、手段として人に頼ることはあるけど、頼る人自体はそれぞれ個別的で、尊重することを忘れてはいけないなぁと再認識して自戒しました。

 

 わたしは「人の名前を覚えられない」と言って、名前を間違えた時や思い出せない時の予防線を張ることもありましたが、これからはまず頑張って名前を思い出して、それでも思い出せない場合は、こっそり他の人に聞くか、「名前を忘れてしまって申し訳ありません」と誠意をもって相手に対応したいな、と思いました。

 

 

 ここまでコラムを書いておいて「名前は記号でしかない」との言葉の主を思い出せない私なので、週末は本棚を漁って、その方の名前を敬意を込めながら探したいと思います。

 

2020年8月3日

R.T

参考文献:

 1)イマヌエル カント, 波多野 精一 (翻訳)他,実践理性批判 (岩波文庫), 1979年.

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